戦後70年 平和通りの誕生と発展

平和通りの誕生

 終戦間もない昭和20年(1945年)10月23日、福島市会協議会は、建物疎開によって誕生した防火地域を、都市計画の一環として街路にすることを決議しました。これが、平和通りの始まりです。
 通りの名称としては、この通りに面する各町で有志の会合を行って、「広小路」、「福島銀座」などの名前もあげられたといいます。その中で、大町町内有志による「平和十日会」が「平和通り」の名乗りを上げ、福島市当局との話し合いも持たれて、「平和通り」という名称が定着していきました。

 

平和通りの建設起工式

(1)「平和通り建設起工式」(写真提供:福島市教育委員会)

(1)「平和通り建設起工式」

 大原綜合病院のななめ向かいにあった進駐軍情報部が移転した後、福島進駐軍のキング大佐も列席のもと、平和通り建設起工式が行われました。写真のほぼ中央にキング大佐が写っています。

 

昭和26年(1951年)頃の平和通り

(2)昭和26年頃の平和通り (写真提供:福島市教育委員会)

(2)「 昭和26年頃の平和通り」

 現在の福島警察署前交差点。左手前にはまだ木造の大原綜合病院、その向かいには中合があります。このころの中合は、大町にありました。現在のホテルサンルートプラザ福島の敷地です。現在のレンガ通りに面した北側はすでに近代的な新しい建物になっていますが、平和通りに面した南側はまだ木造2階建ての古い建物でした。平和通りにはまだまだ古い木造の建物が多くありました。

 

開通後の平和通り

(3)「開通後の平和通り」(写真提供:福島市教育委員会)

(3)「開通後の平和通り」

 舗装工事も終盤にかかった昭和27年、平和通り建設予定地に最後まで残っていた2つの土蔵の撤去が決まりました。ようやく、福島駅前から舟場町まで、舗装され、車道と歩道が分離された最新の大通りが開通しました。
 写真では、中心市街である大町あたりに近代的なビルが建ち、平和通りの南側はまだ古い木造家屋が多く見えます。通りには自動車が写っています。

 

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(3)開通から間もない平和通り (2)昭和26年頃の平和通り(1)平和通り建設起工式