「日本のトップアスリートたちが福島市へ集結! 走れ、未来。第98回 日本陸上競技選手権大会」のタイトル画像

川本和久氏へ直撃インタビュー

第98回 日本陸上競技選手権大会の見どころについて

本大会は福島県で初めて開催されるわけですが、川本さんから見て「ぜひココを見て欲しい」というポイントを教えてください。

川本:やっぱり、一般的には、20連覇を目指すハンマー投げの室伏広治選手ですね。簡単に出来ることじゃないし、そういう瞬間に立ち会えるってのは素晴らしいことだと思います。
次に男子100メートルの桐生祥秀選手、日本人初の10秒の壁を切れるのかってところですね。実は伊東浩司選手が平成10年のバンコクアジア大会に出場した時に現場にいたんです。正式には日本新記録の10秒00だったけど、ゴールした瞬間、タイマーが9秒99で止まったんです。その瞬間、観客が「やったー!」って感激したんですけど、同じ思いを味わいたいですよね!
この目で「10秒ではない」数字を見たい。実際にスタートから10秒間息を潜めて、ゴールしたところで「うおー!」ってなる瞬間をね、これはもう、実際にスタンドに来て、直接見なくちゃいけない。

福島陸上競技協会普及部長 川本和久さんの写真

川本和久(かわもと・かずひさ)氏

佐賀県伊万里市生まれ。筑波大学卒業後、
小学校や中学校の講師を経て福島大学へ。
現在は福島陸上競技協会普及部長、
福島大学 陸上競技部監督など。

ウェブサイト:TEAM 川本

それに、今の男子スプリント界って、すっごく速い選手が多いんですよ。前回のロンドンオリンピックに出た代表選手ですら、トップ16に入れないぐらい若手がどんどん育っています。まさに下克上です。戦国時代を見ているような気持ちで見てもらえたらいいですね。

コンディション次第ですけど、誰が上位に出てくるか分かりません。短距離走って、スタートから50~60メートルまでは、その選手のそれまでのトレーニングで決まるんですよ。残りの40~50メートルはその時のコンディション次第なので、誰が勝つかは分かりません。
なおかつ、この時期の「とうほう・みんなのスタジアム」は北から南に追い風がきれいに吹きますし、トラックも昨年度改修されたばかりで新品なので、記録が出やすいんです。

全体的には東京オリンピックが6年後に決まったことで、日本陸上界に大きな潮目が来ています。若手の気持ちが盛り上がってきています。若手選手の台頭とベテラン選手の奮闘、そういう目で見ると面白いと思います。

例えば棒高跳びの澤野大地選手、以前「エアー大地」って呼ばれていたんですが、昨年の日本選手権で山本聖途選手に負けたんです。でも、その後に復活して最近では5メートル70センチ跳んでいて、今は世界のトップ3に入ってます。若い時は勢いでやっていましたけど、ちゃんとトレーニングしたらまた記録が上がったというベテランならではの努力を見て欲しいですね。

若手とベテランの違いって何かと言えば、大学生までは生まれる細胞が多いから、トレーニングすると競技力が上がるんですけど、その後はちゃんとしたトレーニングをしないと勝てなくなる。そこで競技力が下がるんですよ。技術だけでなく体力も必要なので、そこに向けての人知れないトレーニングをして出場するベテラン選手の頑張りも見て欲しいです。

あと、女子100メートルハードルの美人ハードラー、木村文子選手が日本人初の13秒00の壁を破れるか。これも面白いですよ!

 

 

陸上への想い、福島への想い、復興への想い

本大会は初めて福島県で開催されるわけですが、東日本大震災後の3年間も含め、ここに来るまで大変なご苦労があったと思います。その部分をお聞かせいただけますか?

川本:熱い想い? ありますよ~!(笑)

日本選手権を開催するには、ハードルがとっても高いんですよ。陸上競技ブランドとしての最高のイベントなので、それを行うのにふさわしいスタジアムが必要になるんです。基本的には国立競技場、横浜国際総合競技場、長居陸上競技場の3つです。

日本選手権を福島で開催するには条件があって、大型映像装置を設置すること。それと夜間照明。かなりの資金が必要になるわけですが、実際の運営ともなると福島陸協という任意団体だけでは到底無理です。福島国体以来20年間使っている設備はありますが、日本選手権ともなると最新のものが必要となるわけです。例えばハンマー投げのフェンスとか、レーンを9レーンにしなくちゃいけないとか。それをどうするのかって話しの際に、福島陸上競技協会は二の足を踏むわけです。その後実際の運営のご苦労は、片平会長のインタビューをご覧いただきたい。この大会は、片平会長じゃないと実現できなかったんですから。

開催決定が2012年に決まった後、福島県に協力要請をしたんです。そしたら「やりましょう!」って快く返事をいただいて。ついでに設備はレンタルじゃダメだと、日本選手権の遺産として残すことが大事なんだとお願いしたんです。

それと、開催地候補については各地ライバルが多い状況だったんですが、そこに勝たなきゃならない。大義名分も欲しい。官民合わせ福島県民あげてウェルカムですって形を取らなきゃならない。そこで福島商工会議所さんにご協力いただき、福島県や福島市の要望書をまとめて日本陸上競技連盟に提出していただいたのが、開催地決定の決め手になったと思います。

でも、僕の中では「やらなきゃっ!」って想いが、すごく強かったんです。

日本中を周ってますが、県外の方から「福島は大丈夫ですか?」って聞かれるんです。つまり、放射能汚染があるままの福島県という認識なんですね。ですので、実際に生活している我々を見て欲しいんです。そこは情報発信するだけじゃなくて、実際に見ていただかなければいけない。もちろん原発の現状もあるけど、普通に生活している我々もいるってところを丸ごと見て欲しい。そのためには何が何でも福島で日本選手権を開催しなければならない。

もう一つ、多くの子どもたちが避難していますけど、24万人の子どもたちが福島で生活している。その子どもたちに夢と希望を与えるのが我々大人の使命だと思って、震災以降の活動をしてきたつもりなんです。その夢と希望を与える一つのツールとしてスポーツがあり、陸上競技があるわけですから、その最高のステージである競技会を開催して子どもたちに見せてあげるってのは、やはり使命であり、「やるべきことなんだ、やらなきゃならない!」って思ったんです。

福島陸協普及部の活動としては震災後も小学校の県大会を開催しましたが、当時競技力は落ちていました。でも、昨年度は平成23年と同じか、それ以上に伸びてきている。今後はより活動の場を広げていきたいと思っています。

また、昨年から「陸上王国福島」パワーアップ事業として川本キッズ塾とジュニア塾を月1回くらい、県内トップレベルの子どもたちを集めて指導しています。そして、この中から絶対に日本代表を世界に送り出したい、絶対!

僕自身としては、そのくらいのことをしないと福島への風評被害が払拭されないと思っています。ある方からも「福島からオリンピック選手を出して、アピールしていくのが近道じゃないですか?」って言われて、意を強くしました。

福島に来て30年、今まで国や県に沢山バックアップいただいて来ました。これからは福島の子どもたちを世界の舞台へ連れて行く、このことが福島への恩返しになると思って活動しています。