ススム除染活動3 除染が済んでのお話を聞ききました

十六沼公園 サッカー場

もう十六沼公園のサッカー場で練習しています

福島ユナイテドFC 監督 時崎 悠さん

時崎悠監督に、練習の後にお話を聞きました

時崎悠監督に、練習の後にお話を聞きました

 十六沼公園のサッカー場は震災後も昨年8月の上旬まで練習で使っていました。空間放射線量は自分たちでも測定していて、施設もモニタリングポスト等で表示してくれていたので承知していました。我々としては、「サッカーをできる環境は他には無い」ということで使っていました。敏感な選手は、やむを得ず出て行くことになったりということもありましたし、もちろん子どもたちの活動では、震災後は十六沼は使わず屋内での練習という状況でした。
 現在はキチッと除染されて安全なグランドになったということで、僕らも、福島市のみなさんにとっても、何より子どもたちにとって子どもたちが集える場所がひとつずつ戻ってくるというのが、復興につながると思うんです。

 

練習場所を求めて

 サッカー場の除染作業をしてくださるということで、昨年8月下旬からでしたが、練習場が無くなったのはなかなか大変でした。JFL昇格めざして練習もこれから佳境に入っていくという時期だったんです。スポンサーであるバス会社が、毎日選手を運んでくれて練習は毎日することができました。白石、米沢、猪苗代、会津、遠い時だと田村までも行きました。グランドはそれぞれ、米沢なら山形のチーム、白石なら宮城のチームと、地元のチームがあります。十六沼の練習場が使えないからと、よそのグランド1カ所を自分たちがいつも使えるということはなくて、その日、その日空きのある所を求めて移動しているという 状況でしたね。

モニタリングポストが設置された第1公園と、隣接する南向台小学校

除染が済んだサッカー場で、練習する高校生

 コーチはグランドを確保するために必死になって、社長を始めとするフロントスタッフも常にグランドを探し続けてくれました。クラブのスタッフ、スポンサーである「トランスパック」さんの協力があってなんとか乗り越えられたんじゃないかなと思います。

 子どもたちの活動では、震災後は十六沼公園及び屋外は使っていない状況です。体育館でトレーニングをしていました。ただ、福島市では小学生・中学生のさまざまなスポーツクラブが屋外での練習を控えている状況でしたから、屋内での練習場所を確保できないことも多かったです。クラブのスタッフは本当に大変だったと思います。けど、子どもたちにいいものを提供していく、福島県民の方々にいいものを残していく、つくっていくということを考えると、そういうことも耐えられる。いろんなことがあり、言われましたけど、自分たちが信じる道を進んで来られたんじゃないかなと思いますね。

 

福島にとって必要とされるチームに

 今は除染も済んで戻って来たということで、地元の練習場が使えるありがたみを感じているところです。神奈川県でのキャンプから2月3日に帰ってきて、翌日の2月4日には十六沼公園のサッカー場で練習したんですよ。会うとみなさん、JFLあがってよかったねと言ってくださる。
 僕は、ここからだ!と思っています。また、欲を持ってやり続け、福島にとって必要とされるチームになっていこうと思います。

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